開田の伝統を引き継いで
長寿会の皆様の教えを受けながら・・・
途別地区は,十勝開拓の祖である晩成社の依田勉三が念願の米作りに成功した十勝の水田の発祥の地として知られています。途別地区から水田が無くなって,今年が32年目となります。本校では水田が無くなってから,毎年,その歴史と食についての学習を行っています。また,グランド脇の92㎡の水田では地元の長寿会のご指導を受け,もち米の栽培に全校児童で取り組んでいます。
(ミニ知識)
①十勝の水稲はオベリベリに入植した依田勉三によって栽培された。1885年(明治17年)に10a試作したがバッタの被害で収穫にはいたらなかった。
②1894年(明治26年),下帯広村の増田立吉氏が士幌川河口付近で20a作付けし成功したのが十勝の水稲のはじまりとも言われている。
③幕別の水田のはじまりは1901年(明治33年)である。現在の札内南小学校,瑞穂公園に依田勉三の小作人を入植させ1.7haの作付け,1ha当たり15俵の収穫があったとされている
(①②③は北海道新聞発行:十勝大百科事典を参考)
④現在,幕別町には猿別地区に3戸の水田農家があり,約7ha栽培している。
田植えタイムラプス映像
学校便り
1.かえるの声01.pdf
2.かえるの声02.pdf
3.かえるの声03.pdf
4.かえるの声04.pdf
5.かえるの声05.pdf
6.かえるの声06.pdf
7.かえるの声07.pdf
8.かえるの声08.pdf
9.かえるの声09.pdf
10.かえるの声10.pdf
11.かえるの声11.pdf
12.かえるの声12.pdf
13.かえるの声13.pdf
14.かえるの声14.pdf
15.かえるの声15.pdf
16.かえるの声16.pdf
17.かえるの声17.pdf
18.かえるの声18.pdf
※ご覧いただけるファイルがPDFです。アクロバットリーダー等の閲覧ソフトが必要です。