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秋山治道さん(白銀町)
帯広市で飲食店を経営、平成10年忠類へ移住、村に唯一の居酒屋として、「味処若水」を経営。
今では忠類にすっかり定着した「若水」。経営者であり、また職人でもある秋山さんに取材させていただきました。
秋山さんは、平成10年暮れに帯広市から本村へ移住、旧「ロルカ」を購入し昼はラーメン屋、夜は村唯一の居酒屋として多<の村民の方から利用されています。現在は屋外飲食コーナーの建設、駐車場の整備や花壇づ<りを計画し、店舗周辺の環境整備に精力的に取り組んでいます。
忠類へ来られた理由は
帯広市で独立して3年目ころから、「正直帯広の景気は良くないし、居酒屋一本では生活していくのは難しい、昼間の仕事で食べていくなら絶対地方のほうが良い」と考えていたところ、店のお客さんから忠類に物件があることを聞き、以前から「自分が新得町の屈足出身でしたから、子供の教育は田舎でのんびりゆっくり、ゆったりとした気持ちでやったほうがいい」と考えていたこともあり、早速翌日には忠類を訪れ、1ケ月後には早々と結論を出し「僕らみたいな朝から晩までやっている商売は、子供と携わる時間が少ないですから、子供が小さく人格が形成される前に田舎へ来たかった。人間形成をする時期に穏やかな気持ちでいないと、様々なプレッシャーに負けますから。子供には田舎でおおらかな気持ちで育ってほしい。」と移住を決意しました。
移住に対して
「東京や千葉など大都市での生活経験もあります。都会は生活にストレスがかかりますが、田舎では人間関係とか地域のお付き合いにストレスを感じる人がいます。どちらに住むにしても気持ちをおおらかに持つことが大切です。」
現在の仕事に就かれたのは
「この仕事を本気でやろうと思ったのは25歳から。10年やったら一人前になるかと考えていたがまだまだです。20年、30年やっても最高の仕事をしたと思ったことはない。今は経営者になってしまったので、職人さんのように技を追求することができない、職人としてはもうだめでしょうね。いい仕事をしようとすると経費がかかる、経費がかかると経営は難しい。そういうジレンマはある。」
忠類へ来て
「ここへ来て助かっているのは、色々なものが手に入るんですよ、お客さんとの繋がりで和牛や魚も良いものが手に入るようになってきました。そういう物を出して、忠類でなければ食べられないものを何か作れないかな、というのが今の気持ちです。こちらへ来てから『魚とか色々な物が食べられるようになった』と皆さんに喜んでもらえるようになりましたから、少しはお役に立てたかなと思います。」
経営的には
「人口1,800人が全部お客様と思えば数としては多いですよ。帯広市でも居酒屋一軒当りでは600人ぐらいでしょう。それを考えたらここは不特定多数で、通りの人もたくさんいるし、やり方によってはラーメン屋一本でもやっていけないことはないと思います。」
今後の展望は
「できるだけ長い間は今のように昼はラーメン屋、夜は居酒屋というスタイルでやっていきたい、65歳までできればというのが今の目標です。」
忠類村に望むこと
「国道の交通量が多いので連休や夏休みなどは、道の駅周辺に何か店を出して、有効に活用できれば交流人口を増やしていけるのでは。」
「若い人を村に定住させる方策と、新しい発想をもっと受け入れてほしい。」
「国道沿いを春夏は花で埋める、また冬はイルミネーションで繋ぎ、忠類坂から見て光のラインができるようになればきれいだと思います。」
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