今月号では、初めてのUターン者紹介となります斉藤車輌商会の斉藤浩晴さんです。 事務も技術もこなすオールマイティーな浩晴さん。「車好きというわけではないですが、壊れて動かないものが動くようになる瞬間が好きです。」と語ってくれました。
現在、商工青年部副部長としても活躍中。
忠類に帰ってこられた理由は?
高校卒業と同時に忠類を離れ、石川県金沢市の大学へ進んだ浩晴さんは、現在の仕事のもととなる機械工学を専攻し、技術の習得に日々努力していたようです。大学卒業後は、東京で建設資材関係や機械メーカーで勤務していました。
その後、父親の義夫さんが平成6年に斉藤車輌商会を設立。以前から「いっしょにや らないか。」との誘いもあってUターンを決意。12年ぶりに故郷忠類村に移住してきました。「北海道には帰ってきたいと思っていましたが、家に帰ってきて仕事をするとは正直考えていませんでした。」と浩晴さん。
東京にいたころと比べての相違点は?
「こっちへきてからは、時間とお金のゆとりができました。東京にいたころは、仕事から帰ってきたら寝るだけという生活がほとんどでしたので、今は野球のナイター中継を最初から見ることができるので不思議な気がします。」
「都会の人はよく冷たいといわれますが、そんなことはなく私の場合は、仕事でも遊びでも仲良くやっていました。逆に田舎の人でも人見知りする人もいるので、いちがいには言えないと思います。」
現在の仕事の状況は?
現在は、家族3人と従業員2人での経営で、普段は朝8時半から夜6時くらいまで働いているとのことです。車検の多い3・4月やスタッドレスタイヤの交換時期になると夜遅くまで工場の電気がついていることもしばしばあるとか。
仕事については、「預かった車を修理していると、その向こうにお客さんの顔が見えてきます。一生懸命やらないと、と実感させられます。」
「十勝管内の整備工場の後継ぎをする人たちで構成する会に参加しているので、いろいろな情報交換をして役に立てたいなと考えています。」
今後の抱負は?
「仕事の基盤を作り、さらなるステップアップをしていきたいです。」
パンクやエンジントラブルなどでの出張サービスもしているとのことで「みなさんにもっと身近に感じてもらえるように」と日ごろから心がけているようです。
工場の二代目として、ますます意欲をみせていた斉藤浩晴さんのご紹介でした。
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