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岩谷史人さん(上忠類)
本村待望の新規就農者として期待される岩谷さんです。今回はご夫婦で紹介させていただきます。
岩谷さんは、「小さいころから動物が好きで、団地に住んでいたのでペットも飼えず、高校の時、進路志望が畜産系の大学でしたから、いつか北海道へ渡って動物を飼うぞと、来たことはなかったんですけど、雑誌で見る北海道のイメージは、住んでみたいなって思いますよね。」
大学を卒業後、北海道に牧場を持っているということから大中の湖農協(現JAグリーン近江)に就職、平成11年に同農協を退職し、村内の農家で実習後、同年12月に岩谷牧場として念願の酪農を始めました。
忠類へ来られた理由は
「転勤で来て住み始めて、忠類の良さが段々分ってきて、忠類に残りたいなと思うようになったんです。娘が保育所に行くまではどことも話をしたことがなかったんですよ。保育所に行きだしてから、嫁さんがまず奥さん同士で友達になる、僕が保育所に手伝いに行って知り合いがどんどん増えていって、それからは早かった。娘を中心に親の人脈ができてきたんですよね。そうなると完全に生活基盤が忠類に根ざしているものだから、ここから離れたくないなという気持ちはありました。」
移住に対して
「移住という感じはないです。転勤できてそのまま居着いたから、移住というより残留組という感じかな。はじめは歩いていると振り向かれたりしました。顔が判ってくると誰もが知っていてくれるというのはありがたいですよね。」
現在の仕事に就かれたのは
「同じ大学だったので二人(夫婦)とも農業をやりたいと考えていた。自営するなら2、3年食べていけるお金がないと畑作は無理、肉牛は牛を入れてから出荷するまで、肥育にしろ繁殖にしろ2、3年はかかるんですよね。そうなったら酪農しかない。もう一つ、酪農をやってから改めて思ったんだけど『搾る』というのは結果がすぐ出るんですよね。自分がちょっと変えてみた時に、その結果がすぐ出るのがとても面白くて。」
忠類へ来て
「村だというので一応覚悟はして来たけど、信号機は一つしかない、医者はいない、ああ俺は何てところに来てしまったんだろうって、最初は本当にそう思いましたよ。でも生活するには車があればそんなに不便はないし。」
奥さんから見た忠類は「一番始めは寂しくてね、毎週帯広に行っていたけど、慣れたらこっちで生活できるから。」
どのような農業を
「あくまでも食品を扱っているんだという考えがこれからは必要かなと、それから牛を大事に使っていくことをしたい、今年は平均2.7産しかしていない。牛の寿命としては短いですよ。平均5産位はしないと牛の減価償却も終わっていないのに入れ替えなければならない。なぜそこまで牛が持たないのかな、ということを考えてみようかと思います。」奥さんは「牛に無理をさせないで、牛も人もゆったりと自然な状態でいけたらいいな、それが理想であって、返済とかを考えるとそれができるかどうかなというのはありますけど。」
今後の展望は
「まだ始まったばかりですから何も見えません。とりあえずは軌道に乗せるためここ2、3年は一生懸命やるしかないなと、その後の夢は軌道に乗ってから考えればいいことですから。規模的には少ない頭数でも食べていけるのではと思っているので。ある程度返済の目途が立てばそれほど生活は豊かでなくてもいいですから、時間にゆとりを持てるような仕事をしたいと考えています。」
忠類村に望むこと
「都会並みの発展はしないで、この田舎感を大切にして村の特色として前面に押し出してほしい。自然の豊かな感じをいつまでも残してほしい。」
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